ベトナムの歴史

 

ベトナムは古来より外国勢力の驚異にさらされてきた。

中国、モンゴル、フランスなどの侵略に対して
対抗してきた歴史を紐解くことは

ベトナムの現在を理解するのに役立つはずだ。

今回はそのベトナムの歴史をわかりやすく
まとめたのでご覧頂きたい。

ニャン爺紹介

古代

伝説上の国家 文朗国(ヴァンラン)とオーラック国

文朗国(ヴァンラン)と呼ばれる伝説上の最初の国家は、紀元前2879~258年まで続き、歴代フン王が政権を納めていたとされています。

ただ先史時代の話なので、文朗国やフン王は伝説という見方となっています。

その後、文朗国は中国の蜀に滅ぼされ、のちに建国されたのがオーラック国

こちらも紀元前の話で、伝説上の国家とされています。

 

中世

800年間の中国支配 (B.C. 111年~A.C. 938年)

元前111年~紀元後938年、ベトナムは中国の支配を受けていました。この期間は中国国家は漢から唐となります。

ベトナム李朝は上記に掲載した写真の青色部分のように北部紅河デルタ以北の領土しかありませんでした。

現在のベトナム領土であるホーチミンがある場所やメコンデルタ地方は、当時はカンボジアでした。

現在のベトナムの国土は11世紀から18世紀にかけて領土拡大によって築かれたものであり、このように北ベトナムが800年かけて南へ勢力と領土を伸ばし現在に至ります。

これを「南進」と呼びます。

また、科挙の実施による有能な人材の登用、儒教など中国文化の浸透で著しい発展を遂げた期間でもありました。

 

李朝 (1009〜1225年)

その後、李朝の時代を迎え、首都はタンロン(現在のハノイ)に置きます。

当時の城下町は現在の旧市街まで伸びていたとされており、かなり大きな国家だったことが想像できます。

 

陳朝 (1225〜1400年)

チャンフンダオが李朝を倒して新たに陳朝を立ち上げます。

チャンフンダオは度重なるモンゴル軍を撃退した英雄です。
ホーチミン中心部にもチャンフンダオの大きな銅像が立っています。

下記が陳朝時代のベトナムな領土になります。少し南に拡大していますね。

 

近代

★黎朝 (1428〜1789年)

その後、政権は黎朝(1428〜1789年)へと移っていきます。

中国明朝との交友関係が良好になり、ベトナムという存在を認めてもらった時期でもあり、カンボジアのチャンパ王国との友好関係は悪化し、領土争いが耐えず、南進が進んだ時期でもあります。

上記に領土を添付します。ご存知、レ・ロイが創始者になります。

 

★阮朝 (1802〜1945年)とフランス領インドシナ(1887~1945年)

1887~1945年の間はフランス領インドシナ時代となります。

当時ベトナムは1802年から現在のフエに王朝を築いた阮朝が国家を築いていました。

フエに王朝があったのは阮朝でベトナム最初で最後とのことですが、統治していたおよそ140年以上の間は、中国やフランスに支配されていて、混沌とした政治体制でした。

 

フランスに統治されていたこの時代に、現在のカフェ文化やバインミーなどフランス料理も流入してきました。

また、ベトナムの民族衣装であるアオザイもフランスの自由奇抜なセンスが取り入れられて、カラフルで自由なデザインが施されるようになり、いままでの正装という概念にファッションを取り入れました。

 

 

そして、この時期フランス以外にもベトナムを支配した国があります。

 

「日本」

 

フランス支配期の真っ只中にはじまったのが第二次世界大戦

フランスが敗北を認めたのち、日本軍が隙を見てベトナムに入り込みます。

その結果、戦後フランスと日本から二重支配を受ける結果に。

現在ベトナムは現在でこそ親日国家として知られていますが、厳密にいえばお年寄りの間では日本を嫌っている方も多数います。

日本の進駐は日本が第二次世界大戦に敗北する1945年まで続きます。

 

現代

自由と独立を掲げた革命家ホーチミン氏。

現在ではベトナムの象徴ですが、それでは一体ホーチミンは誰から独立したのでしょうか。

「日本」と「フランス」です。

先ほど日本の進駐をお話しましたが、1945年8月にご存知の通り日本の敗北が決定しました。

ここからは第二次世界大戦以降のベトナムの歴史を見ていきましょう。

 

★ベトナム民主共和国とベトナム戦争

第二次世界大戦終戦に伴い、ホーチミンがベトミンと呼ばれる革命軍を結成して、ハノイやフエといった各地で政権を制圧(ベトナム8月革命)。

北ベトナム国、正式名称「ベトナム民主共和国」が誕生し、初代首相にホーチミン氏が選任されました。

しかし、これでめでたしとはいきません。

戦争に負けた日本は撤退しますが、戦争に勝ったフランスが再びベトナムを侵略します。

フランスが狙ったのはサイゴン(現ホーチミン)を首都とする南部。

そして、ホーチミン率いるベトナム民主共和国と、フランスが作り上げた傀儡国家とで戦争が勃発。

これが(第一次)インドシナ戦争です。

この戦争は1946年~1954年まで続き、ディエンビエンフーの戦いを経てベトナムがフランスに勝利。

敗北したフランスは56年に撤退することになります。

ちなみにディエンビエンフーで活躍したベトナムの将軍はヴォー・グエン・サップ。

フランスに勝利して一息。

ただまだベトナム民主共和国を認めていない国がいました。

「アメリカ」

冷戦中であったソ連との険悪な関係もあり、アメリカはフランスが撤退したあとに「ベトナム共和国」(通称:南ベトナム)を作り、反共産主義を訴えました。

ホーチミンはソ連のマルクスレーニン主義を方針としていたので、いわゆるソ連側でした。ですので、ベトナム戦争は南北統一戦争という名の下にはじまった、自由主義と社会主義、アメリカとソ連の代理戦争とも呼ばれています。

1960年。親米の南ベトナム政権の打倒を目指して「南ベトナム解放民族戦線」が決起。

これが世に言う「ベトコン」です。

ベトコンはアメリカが名付けた蔑称ですが、現在はポピュラーな呼び名で特別差別にはあたりません。

そして1964年、遂にベトナム戦争の火蓋が切って落とされます。

「トンキン湾事件」

アメリカの軍艦が北ベトナムに砲撃されたとのことですが、アメリカが戦争の口実を作りたいがためのでっち上げと言われています。

そして、翌年以降大規模な軍事衝突が開始。

本格的なベトナム戦争のはじまりです。

なお、ホーチミン氏は1969年に心臓発作で死去しています。

1975年4月30日。北ベトナム率いる軍隊が戦車で南ベトナム大統領官邸を襲撃。

この日を持ってきたベトナムの勝利となり、15年続いたベトナム戦争は終戦しました。

 

★ベトナム社会主義共和国

南ベトナムという一つの国が終わりを迎える瞬間として、当時は世界でその模様は放送されました。

年配の方の中には、まだ記憶にある方もいらっしゃるでしょう。

その翌年、1976年に南北統一選挙が行われ、北ベトナムが南ベトナムを吸収。

「ベトナム社会主義共和国」

が誕生しました。

その後は社会主義としてホーチミン思想のマルクスレーニン主義を方針に国家を作り上げていきますが、なかなか立ちなおすことができません。

そこで1986年に打ち出したのが一部資本主義の経済システムを取り入れる。

「ドイモイ政策」

これは民間企業および国民の財産を一部認める画期的な政策でした。

これは現在の経済基盤でもあり、ベトナム経済が豊かになる岐路であったことは言うまでもありません。

そして、1990年代以降にはホーチミン近郊で多くの工業団地がオープンし、日系企業も多数進出してきました。

最近では旅行先としても注目され、ダナンなどの中部の都市にまで日本人の旅行客が押し寄せるようになり、2019年末現在でベトナム全土で在留届を出している日本人だけで約2万人ほど社会生活を営んでいます。

ベトナムは歴史を紐解いて行くと侵略と抗争の一部凄惨な歴史ですが、過去の苦しみを乗り越えてか輝かしい未来を日本一緒に築いて行って欲しいですね。

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