ベトナム過去を知り、ベトナムの今を理解しよう 戦争博物館

ホーチミンにある戦争博物館に行ってみよう

 

ベトナム戦争

 

誰もが耳にしたことがあるその悲惨な歴史の一幕はベトナムを語る上では決して避けて通ることが出来ない。

今回はそのベトナム戦争に関する展示を行っている戦争博物館にお邪魔した。

ベトナムの苦しみを理解するとで彼らに対する理解も変わってくるはずだ。

 

 

そもそもベトナム戦争とは?

そもそもベトナム戦争とはなんだろうか簡単に解説してから戦争博物館の説明に移るとしよう。

 

ベトナム戦争とは

アメリカが支援する南ベトナム共和国と
北部ベトナム共和国・南ベトナム解放民族戦線の戦い

である。

 

フランス軍が撤退したインドシナ戦争後、ベトナムの共産化を阻止する口実でアメリカは1965年から本格的に軍事介入してゴ・ディン・ディエム氏が実権を握っている南ベトナム共和国を支援、トンキン湾事件を皮切りに1965年、ベトナム戦争に突入した。

アメリカは北爆を行い地上軍を投入、北ベトナム軍・南ベトナム解放戦線との戦闘が続いた後、戦争は68年、解放戦線によるテト攻勢からアメリカ軍の後退が始まり、73年には撤退。

その後1975年には南ベトナム政府の首都サイゴンが陥落し、北によるベトナム統一が行われ、完全に終結したというのが大まかな流れである。

 

べトナムはこの戦争で完全なる自由と独立を手に入れたが、その代償として多くの物を失った。

 

300万人以上の国民を失い、多くの土地は枯葉剤で枯れ果て、今枯葉剤をその身に受けたものの子孫は今でもその後遺症に苦しんでいる。

ホーチミンやビエンホア市内にはいまでも枯葉剤の被害者をサポートする施設が多くあり、たくさんの被害者がそこでの暮らしを余儀なくされている。

 

戦争博物館へのアクセス

それではそのベトナム戦争の歴史が詰まった戦争博物館へ行ってみよう。

戦争博物館は3区にあり、1区のレタントン界隈から車で5分ほどのところにある。世界中から観光客が訪れる名所だ。

 

入場料は1名4万VND。

今回訪れてみて内容の割にやすいと感じた。

ちなみにバイク駐車場は3,000VNDとなっている。

 

ベトナム戦争博物館 庭

戦争博物館の庭には実際に戦争で使われた戦車や飛行機、ヘリコプターなどが並んでいる。

 

このヘリコプターだが、最大時速300㌔で飛行するとのこと。
この巨体からは想像もできない速さだ。

船員は4人と書いてあるが、乗員入れたら20名くらい乗れそうな大きさのヘリでしたね。

 

庭にはヘリコプターの他にも飛行機や大砲・機関銃などが展示されていた。

 

アメリカが散布した枯葉剤と被害者とその影響

この戦争博物館のメインは2階と言っても過言ではないだろう。

2階には枯葉剤「エージェントオレンジ」の犠牲者を中心に写真が飾られている。

 

枯葉剤、とりわけ「エージェント・オレンジ」を知らずしてベトナムは語れないだろう。

 

枯葉剤にはいろいろ種類がありそのうちベトナム戦争で最も散布され、

悪影響を及ぼした枯葉剤が

「エージェント・オレンジ」

になる。

 

「エージェント・オレンジ」を筆頭とする枯葉剤には多量のダイオキシンが含まれており、それが後の世代に奇形児を誕生させる原因となった。

 

枯葉剤が散布された地域

ダナン・フエ近郊

山岳部に散布されています。

森林を枯れさせるのが目的なので都市部よりも森林地帯に散布されています。

 

ホーチミン・メンコンデルタ・ビンズン・タイニン省近郊

ドンナイ省、タイニン省あたりは散が多いのは有名。タイニン省は南ベトナム解放民族戦線の本拠地があった。カンヨーは7区南のマングローブ湿地帯。私が釣りによく行っているところ。

 

クイニョン・トゥイホア近郊

 

枯葉剤の散布されたエリアの当時の状況

カマウ省

ベトナムの大陸側の最南端の省です。

特に枯葉剤が多く散布された場所でもあります。

 

カンヨー

ホーチミン7区の南に広がる湿地帯です。現在は緑が戻っていますが、散布された当初はこのように焼け野原のようになっていました。

 

タイニン省

先程もご説明しましたが南ベトナム解放民族戦線の本拠地があったのがタイニン省で、特に枯葉剤が大量に撒かれました。

 

どの省も枯葉剤を散布された地域は完全に植物が枯れていますね。

恐ろしいくらいの破壊力です。

 

枯葉剤の犠牲者達

この章では枯葉剤の犠牲者の事例を見ていこうと思う。

目を背けたくなる内容も多いと思うが、ダイオキシンの恐怖を理解して欲しい。

 

① 不形成

この子は小さい脳を持って生まれてきただけでなく、口・耳・手足の不形成の状態で生まれきました。生まれた翌日には死んでいたそうです。

 

② 精神異常

こちらの女の子は精神異常をきたしてしまった女の子ですね。
手にとったものは何でも飲み込んでしまうようでケージに入れられていたようです。

彼のお父さんもやはり「エージェント・オレンジ」に晒されていたそうです。

 

③ 頭蓋骨異形成

彼女は名前を授けられないまま病院で生まれ、そのまま息を引き取った可愛そうな女の子。

もう涙しか出てきません。頭蓋顔面骨異形成症。

 

④ 全身麻痺

顔面変形して、体にも麻痺が残っている女の子です。
妹がつきっきりで看病しています。

ホーチミン近郊のカンヨーという場所で、枯葉剤が特に多く巻かれた場所です。

 

⑤ 腫瘍

顔面に腫瘍ができています。

西村洋一という日本人の写真家が撮影したもの。
なお西村さんは枯葉剤の真実を追いかけて写真を取り続けている写真家。

 

⑥ 下肢欠損

こちらも片足がない状態で生まれてきた被害者。ベトナムには枯葉剤の被害者をサポートする施設をNPOが運営していたりする。

 

⑦ 韓国兵

枯葉剤の被害を被ったのは実はベトナム人だけではなかったのだ。

韓国兵やアメリカ帰還兵なども枯葉剤の被害にあっている。

特にアメリカの帰還兵は訴訟問題になっているが、政府も製薬会社も正式には枯葉剤の直接の影響と認めていない。

別記事でも記載しているが、枯葉剤を製造したモンサント社は現在でもグローバル企業となって、除草剤を製造・販売している。写真は韓国人兵。

 

アメリカによる侵略

アメリカ兵による蛮行

アメリカ兵がベトナム人のパイロットを連行する現場の写真。

 

アメリカ兵がベトナム兵を水に漬けて拷問している写真。

 

虐殺された一般市民。

 

爆弾を受けて顔がただれる女性。

ここではリン弾と記載がありました。

 

実際の爆撃ではナパーム弾も使われ多くの死者を出しました。

上記はアメリカがメンコンデルタの中心都市カントーを空爆した際のナパーム弾の犠牲者の写真です。

ベトナム戦争の映画などみてもらえればわかるかと想いますがナパーム弾は辺り一帯を焼き尽くす殺人兵器です。

 

 

ベトナム戦争で実際に使用された兵器

① 釘爆弾

釘爆弾です。爆弾に釘を混ぜて使用していました。

これを使えば広範囲に渡って負傷者が多数出すことができます。

 

② 対人地雷

ベトナム戦争で使われた対人用の地雷です。

アメリカがベトナムから撤退した後もこちらの爆弾が残っており多くの人の命を奪いました。

 

③ 対戦車地雷

対戦車用の地雷です。さすがは戦車を壊すための兵器だけあって大きいですね。

 

④ 銃

M16は現在でも有名な銃ですね。実際にベトナム戦争で使用されていたそうです。

 

ベトナム戦争各種統計

① 残存爆弾トン数

上記のように戦争後も610万ヘクタールの土地に80万㌧の爆弾がベトナムに残っており、1975年〜2002年の間で42000人以上の命が犠牲になりました。

今でもビエンホア空港やアマタ工業団地の辺りはたくさん爆弾が出てくるそうです。

私の知り合いの工場の方も、庭から突起物が出ていたそうで、調べさせたら爆弾だったとのことです。

幸い信管は抜いてあったそうです。

 

② 犠牲者・行方不明者数

この数字にベトナム戦争のすべてが集約されています。

300万人の死者を出し、30万人の行方不明者をだしました。

 

④ 使用爆弾トン数

ベトナム戦争で使用された爆弾のトン数です。

黒い爆弾のイラストのほうがアメリカ軍が落とした爆弾の数です。

1968年と1969年の北爆は凄まじかったのが想像できます。

ただここらへんからアメリカも財政赤字がかさみ、68年のテト攻勢から徐々に敗戦を重ねていく。

 

第二次世界大戦、朝鮮戦争とベトナム戦争の比較です。

ベトナム戦争のこの数字にはインドシナ戦争から含まれているのようです。

特筆すべきはその期間の長さですね。

アメリカが介入してからの戦争で10年以上、フランスとのインドシナ戦争をいれたら17年以上に渡りベトナムは抗戦してきました。

ベトナムを敵には回したくないですね。

最後はアメリカがベトナムから撤退した1975年の写真です。

4月30日3時45分、アメリカ大使のグラハム・マーティンがベトナムから退出した際の写真です。

ベトナムが25年に渡るアメリカの干渉から解き放たれた瞬間でした。

 

日本国内での反戦運動

ベトナム戦争が始まったことで日本国内でも反戦運動が始まりました。

日本から多くの反戦活動家やメディア関係者がベトナム戦争の現状を知るためにベトナムに渡航しました。

 

ベトナム国家の歴史は常に外夷の侵略に晒されていた歴史でした。

 

中国・フランス・アメリカと多くの国がベトナムへの侵略を目的に進駐してきました。

そしてベトナムは彼らとの戦いで多くの犠牲を払って、尊厳を勝ち得、国際社会で生き抜いてきました。

 

ベトナム人は勤勉で誠実で、家族を愛し、そして誇り高い民族です。

その気質や文化が、外夷を退け、ベトナムの発展を後押ししたのは想像に固くありません。

 

わたしはベトナム人のそういったところが好きになってしまいかれこれベトナムに4年も滞在しております。

 

ベトナム戦争では300万人以上のベトナム人が命を落とし、後世に残る多くの枯葉剤の犠牲者を出しました。

目を覆うような悲惨な歴史ですが、ベトナムの今の生活に当時戦争の面影は全くありません。

 

今のベトナム人の若者を見ても、K-POPのスターに入れ込んだり、恋人とカフェで談笑を楽しんだりと、皆思い思いに楽しんでいる姿が見えます。

 

私はそれでいいと思います。

希望に満ち溢れた未来に向かって生きる。
それこそが万国共通の充実して今を生きる術だとも思っております。

 

ただ1点、私はベトナムの若者に過去のベトナム国民の勤労の上に今の物質的繁栄があること、祖国と家族を守るために命を掛けて戦った国民の辛苦の上に今の尊厳と自由があることを忘れてほしくはないと思っています。

 

命を掛けて戦い散っていった人々の魂に寄り添い、戦争で命を奪われ行った市民達の無念を胸に生きることができれば、今を精一杯生き抜くことの大切さが理解でき、この瞬間から新たなる気持ち次で一歩を踏み出すことができるはずです。

 

皆さんも是非ホーチミンの戦争博物館を訪れてみて下さい。

戦争博物館は普段仕事でベトナムにアプローチしている私達にとって、違う角度からベトナムの姿を見せてくれる場所です。

一度戦争博物館に行けばベトナムに対して興味が湧いてくることは間違いありません。

 

そしてベトナムの戦争の歴史を知れば、あなたの周りにいるベトナム人に対してもっと親しみが湧いてくるはです。

 

それでは本日はこのあたりで。

 

★合わせて読みたいベトナムの歴史はこちら★

★枯葉剤に関してはこちら★

 

戦争博物館 詳細情報

住所:28 Võ Văn Tần, Phường 6, Quận 3

連絡先:028 393 05587

入場料:1人 40,000VND

バイク駐車料金:3,000VND

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